ひやむのブログ

徒然なるままに書きます。

私は環奈ちゃんにはなれないけど、環奈ちゃんは私にはなれない。

おはようございます。

 

ヒヤムタケントです。

 

ブログ毎日更新20日目です。本日も読んでいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

「私は橋本環奈ちゃんになれないけど、橋本環奈ちゃんは私にはなれない。」

 

以前、Twitter上でこんな投稿を見かけた。

 

もっともこれは長いツイートの一部で、ツイート全体としては「どうせ私は橋本環奈ちゃんのような美人ではないし人気者ではない」という趣旨だった。

 

最後に冗談めかして前述の一文が付け加えられていたと思う。

 

 

 

しかし僕には、「橋本環奈ちゃんは私にはなれない」という文が一番刺さった。

 

何者も、他の誰かになることはできないのだ。

 

環奈ちゃんが「私」にない特徴を持っているのと同様、「私」も環奈ちゃんにない特徴を持っているのだ。

 

 

 

誤解を防ぐために予め言っておく。

 

ぼくは決して「私には生まれながら個性があるから今のままで良い」というような開き直りを肯定しているわけではない。

 

個性はそれを生かして初めて価値が生まれるものだ。

 

何もしなければ、単なる「他人と違う」という事実でしかない。

 

 

 

例えば「アメリカに5年間住んでいた」という経験がある人がいたとしよう。

 

しかし、いざ英語圏の人から話しかけられた時に緊張して何も話せなかったとしたら、どうだろう。

 

アメリカに5年間住んでいた」という、日本では比較的希少な経験をしていても、他の人と比べて優れているとは言えないのではないか。

 

もちろんアメリカに長期間住んでいたことによって得られるものは「ネイティブと会話できるようになる」ことだけではないが、これはあくまで例として捉えて欲しい。

 

 

 

つまり他の人と違った能力や経験があったとしても、それを全く活用しなければ「長所」とはいえないのではないか。

 

だからといって「自分は個性を生かせていないから価値のない人間だ」などと悲観的にならないで欲しい。

 

個性を生かそうという気持ちがあれば、きっとそれはすぐに役立てる場面が見つかるだろう。

 

例えば身長180cmの人が高いところに置いてあるものをとってあげたり、人混みの中で離れた場所の写真を撮ったり出来ることは立派な「長所」である。

 

一つ一つは些細なことでも、長所を積み重ねていくことによって「私」はオンリーワンの価値ある存在になることができる。

 

 

 

ここで「環奈ちゃんは私にはなれない」という話に戻ってみよう。

 

「私」に環奈ちゃんと違ったオンリーワンの価値があれば「あなたは環奈ちゃんになれないけど、環奈ちゃんはあなたにはなれないよね」と言われる存在になるだろう。

 

しかしそうでなければ「環奈ちゃんはあなたになりたくないよね」で終わってしまうのである。

 

 

 

「環奈ちゃんは私にはなれない」そう自信を持っていえるくらい、オンリーワンの価値ある存在になって欲しい。

 

もちろんぼくも、そういった価値のある人間になりたい。

 

 

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

良ければ明日もお付き合いください。

 

今日という日が皆さまにとって良い1日となりますように。

 

ヒヤムタケント